31、検校阿闍梨斎俊

紀州在田郡の人である。
性格は柔和で、
粗野な言葉を口から出さずに、
心根のまっすぐな人であり、
行いも妙なるものであった。

琳賢阿闍梨の弟子に入り、
両部の大法・諸尊の秘要をを究め、
難行を幾星霜も久しく続けた。

治承3年(1179年)3月1日、
華が庭に落ちて、斜陽が壁を照らす夕べ、
阿闍梨は脇息に寄りかかったまま心念を凝らし、
病もないというのに、八葉の峰の上(高野山)にて遷化した。

84歳であった。
三密の壇を前にして、
常に三十七尊の観法を凝らし、
生前の行業をじっくりと思い、
ついに最期の時を迎えたのだ。
その様子は、悟りを得た人のようであった。


注記

高野山龍光院の学僧。
1096-1179
字は中厳。
幼くして高野山に登り密学を修め、成人して琳賢に随って両部の灌頂を受け、諸尊の秘要を究めた。
精修久しく霊感を得ること多し。
治承3年1月、高野山第27世検校職に補任されたが、ほどなくして病により職を辞し、同年3月1日入寂。
寿84。


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