25、妙蓮房明暹(みょうせん)

紀州の人。
阿弥陀仏と不動尊に祈り、
臨終の時も正しい思いを持ちながら、
礼懺経と理趣経を唱えた。

多年にわたって真心込めたお勤めや、壊れた堂舎の修理をした。
伝統を絶やさず、また礼讃講式を精しく勤め上げ、
積んだ功徳はすばらしいものだった。

嘉応元年(1169年)6月15日、
心身にわずらうところなく、起居も安寧としていて、
香華を備えて礼盤に登壇した。
端座して合掌し、姿は変わりのないまま、息を引き取った。
このとき、年齢は94歳であった。
いろいろな聖地を廻って法のとおり、修行したという。
だから、分かるのである、
上人が往生した清らかな人であったということを。


注記

1076-1169
高野山の住侶。
暹蓮房と称す。
高野山で伝法灌頂を受け、理趣経・礼懺経を平日唱えていた。
晩年は阿弥陀ならびに不動尊を信仰し、臨終の正念を願った。
寿94。


次へ

往生伝目次へ



密教の小部屋へ