24、澄慧山篭

紀州の人。
心根がまっすぐで、その徳行は高かった。
それだけではなく、三部の大法をよく学んで詳しく知っており、
灌頂や伝授を行っていた。

また、随求や尊勝・理趣などの修行法にも取り組み、
怠りなく修行していた。

ついに、仁安4年(1169年)8月22日、
洗ったばかりの浄衣に着替えて、
安らかに座ったまま逝去した。


注記

1169
高野山の住侶。
久しく高野山にとどまり、高徳の室につかえて両部灌頂を受けた。
ついに感応を得た。
道俗の帰依が厚かった。
嘉応元年8月22日入寂。
享年不明。

次へ

往生伝目次へ



密教の小部屋へ