22、聖譽上人

西谷勝宝房と号した。
元は仁和寺に住していた僧侶である。
ずっと前に仁和寺を離れ、今は高野山に住んでいる。

不動明王を本尊として、大法を修して功徳を積んで、
気を引き締めて、入壇・灌頂した。

そろそろ暮齢にさしかかって、
世俗のことは口にしなくなった。
そのうちにリウマチに犯された。
寿命が危ぶまれた。

仁安2年(1167年)2月29日。
弟子たちにこう言った。
十座千日の修行法をする。
999日が満ちたとき、翌日に密厳浄土に生まれ変わるだろう。
そうして、最後の座、
前供養をこの世で終えて、後供養を浄土で行おうと願いを結び、
礼盤に登って行を始めた。

正念誦の後、散念誦の間に、約束に違わず、入滅した。
壇の上の香はまだ燃え尽きていないのに、
上人の身はもう滅してしまった。

窓から月明かりが差し込み、縄で出来た橋戸に腰掛けていた人は、
永遠に逝ってしまった。
見る者は恋慕の涙を流し、これを聞いた人は随喜の思いを凝らした。

この往生の様子は、遠く中国の聖者も及ばないだろう。
密厳浄土に往生したということは、疑いがない。


注記

1167
高野山の住侶。
密教を究め、顕教にも通じていた。
平素から不動明王に帰信して慈救呪を唱え、入壇灌頂してからも、怠けず常に宗要を説いて世俗のことを口にしなかった。
そして、毎日修行に励んでいた。
享年不明。

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