18、澄賢入寺

紀伊の国の人である。
良幸を出家・受戒の師とし、
琳賢に随って両部・諸尊の方を受けた。

理趣経・礼讃文の読誦の数は計り知れなかった。
客塵に侵されず、
ただ水上の蓮に思いをかけて、
禅観を久しく積んだ。
そして、はるかに雲間に西の月が通るのを眺めていた。

終焉の暮れ、念仏して逝去する際に言った。
「臨終のさいの一念の功徳は、生前の百年の修行にも勝るのだよ」

この言葉は嘘ではない。
澄賢が往生したことを、どうして疑えよう。

このときは、保元三年(1158年)のことであった。


注記

1158
高野山の住侶。
若年にして高野山に登った。
常に理趣経・礼讃文を誦持して禅観を凝らし、客塵に穢されなかった。
保元3年3月11日入寂。
享年不明。

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