16、調御房 定厳(ちょうごぼう じょうごん)
紀州相賀の人である。
俗姓は紀氏。
初め高野山に登り、弘法大師の遺弟に師事した。
次に多武峰に住み、天台の法門を学んだ。
そして、最後に高野山の元いた寺に戻り、
さらに阿弥陀仏の秘法を受け、法華経を読誦した。
常に不退転を心がけ、暮年におよんで無言行をした。
毎月15日に勤行で、阿弥陀仏を百万遍お唱えし、35年欠かすことなく功徳を積みつづけた。
仁平三年(1153年)8月23日、入滅した。
念仏を絶やすことなく、定印を崩さず、首を北に向け、その時を迎え、西に顔を向けて滅したということだ。
注記
1153
高野山の住侶。
字は調御。
紀伊相賀の人。
享年不明。
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