12、律師 行意

伏見の修理大夫俊綱朝臣の息子である。
子供の頃、(父の)お供をして高野山に登った。
その時、朝臣は彼をこう戒めた。
「おまえは、必ず大師のお弟子になりなさい」
そして、奥の院をお参りして、出家の準備をした。

長和法親王を請い奉って戒師として、
専ら勇猛に精進して、ことに五戒・十善戒をよく守った。

その後、御室(仁和寺)で灌頂を受けた。

保延7年(1141年)7月、リュウマチにかかり、漸く日数を送っていた。
しかし、紫衣を身につけていても何になろう、極楽往生の金の蓮華の台を祈っていればいいのだから・・・と思っていた。

同月8日、臨終のときになった。
阿弥陀仏の像に向かって、その宝号を唱え、
定印を乱さず、奄然と告別した。
生気が絶えた後も、容色は変わらず、
往生の相だということを、誰も疑わなかった。

そこで、彼を「大夫律師」と号した。
また「澤律師」とも称した。

筆者がこのたび、その庵室を訪ねたら、
柱石がまだ残っていた。
その辺りに宿を取ったのは、芳しいご縁を結ぼうと思ったからである。


注記

1062-1141

高野山の学僧。
丹波律師または大夫律師と称した。
泉州の人、伏見修理太夫俊綱の子。

幼くして父に従って高野山に登り、奥之院御廟にて得度した。
勇猛精進・慧解つとに聞こえた。
応徳元年3月3日、仁和寺観音院において性信法親王を拝して伝法灌頂を禀けた。
このとき23歳。

後に高野山に帰り、学黌に掛錫したので、沢の律師と呼ばれた。
保延6年2月、権律師に任ぜられた。
これは法金剛院御堂供養のほうびである。

永治元年7月8日沢坊にて入寂。
寿98。
その遺跡を青雲院と号し、庭前に古井あり。
これを行意の閼伽井(閼伽水を汲んだ井戸)であると伝えられている。



五戒・十善戒についてはご存知の方が多いとは存じますが、一応おさらいいたしておきましょう。


五戒
1.不殺生(殺さない)
2.不偸盗(盗まない)
3.不妄語(うそをつかない)
4.不邪淫(みだらな行いをしない)
5.不飲酒(お酒を飲まない)

十善戒
1.不殺生
2.不偸盗
3.不邪淫
4.不妄語
5.不綺語(おべんちゃらは言わない)
6.不悪口(悪口は言わない)
7.不両舌(仲を悪くするようなことは言わない)
8.不慳貪(ものおしみ・むさぼりはしない)
9.不瞋恚(怒らない)
10.不邪見(よこしまな見解はもたない)


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