8、経得上人

高野山持明院の人で、ずっとそこに居住していた。
その場所に小堂を建てて、その中において修行をしていたので、
日とは彼を「小房の聖」と呼んでいた。
すなわち、

「私は、法華経を六千部読み、六種の輪廻転生の道をふさぐ身です(もはや天人・人
間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の世界に生まれ変わらずに極楽に往生します)。
おまえたち、私を軽んじてはいけない。」

そのようにして、幾度となく言っているうちに、
ついに終わりのときがきた。
弟子を招いて阿弥陀仏の像を安置し、
正しく西方を向いて声高に念仏を唱え、
専ら正念に住し、入滅した。

居合わせた人々は不思議なご縁を結んだのだった。

このとき、華蔵院の宮僧正・寛暁は、高野山に参篭していた。
近江の阿闍梨・宗寛は仁和寺に居住していた。

すだれを指して、僧正が申すのには、
「ゆえに、一つの絹の幢が西方から飛来して、
高野山を指して飛び去った。
幾ばくもなく、元のように西方に帰り飛んでいった。
おそらく、高野山内に往生人があったのだろう。」

すなわち、日時を尋ねると、小房聖の終焉の時だった。
一山の僧徒はみな悲しんで泣いた。
かの僧正は随喜のあまり、中陰仏事を修したという。


注記

高野山の住侶。
俗姓はあきらかではない。
誦経念仏して専ら極楽往生を欣求す。

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