5、上人無名
南筑紫の人で、名前は不明なので、誰かに尋ねてみてください。
高野山には2人の上人がいて、ともに九州の人であって、高野山の南北に暮らしてい
た。
日夜修行し、いつも勤め励んでいた。
あえて怠けることもなく、
高野山の人は2人をそれぞれ「南筑紫」「北筑紫」というふうに呼んでいた。
長治元年(1104年)、春の頃、
南筑紫上人は夜に童子を呼んで言った。
「もう夜明けか?」
「いえ、いまだ酉の鳴く時刻には及びませんが・・・・」
また、問うた。
「では、何時だ?」
「すでに寅の螺が鳴りました。」
「夜明けが近いだろうか?」
「ええ、もう夜が明けます。」
そこで、童子とともに起きて、
房舎を掃除してことごとく荘厳して、
新しい浄衣を身にまとって、
阿弥陀仏に向かい、結跏趺坐した。
僧たちを招き入れて、御宝号を唱えさせ、鼓を打たせた。
午の刻(昼頃)より申の刻(夕方)に及んで、
念仏は不断に称え続けられ、
上人は端座したまま入滅した。
美しい雲がたなびき、妙なる香りが庵に満ちた。
高野山内の人は、これを見聞きして涙を流したという・・・。
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注記
寅の刻は明け方で、水の中に生息する小さな虫さえも寝静まって井戸の底に沈んでいるそうだ。
だから、この時間に閼伽井から浄水を汲む。
現在は井戸のないところで加行を行うこともあるが、それでも寅の刻に水を汲む。
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