2、散位清原正国

大和の国葛下郡の人である。
若い頃は武芸を好み、悪事ばかりをしていた。
しかし、61歳でにわかに出家した。
法名は覚入であった。
その後は毎日念仏十万辺をして、27年に及んだ。
ひとえに往生することを慕って、余念など全くなく励んだのであった。

すると夢で入唐上人の日延が現れて言った。
「極楽に往生しようと願うならば、高野山に住みなさい」
そこで、この夢を信じて、寛治7年(1753年)9月23日、
忽然と生国を出て、この高野山に移り住んだのである。

その後、身心が不調となり、軽い病も思い病も併発した。
傍房上人、またの名を北筑紫聖という人が来て、
このように告げた。

「私は、阿弥陀仏が無量の聖衆(菩薩や天人)とともに、
 あなたを迎えに来る夢を見ました。
 だから分かりました。
 あなたの病は運命です。
 往生の時がきたのです。
 恨むなかれ、悔やむなかれ。」

そうするうちに、少し病が癒えたので、すぐさま沐浴して身を清めた。

同年10月10日虎の刻、
衣服を整え、香炉を取り、西を向いて遷化した。
この時、87歳であった。

その時、ある上人が、紀伊の国の日前国懸社に参篭していた。
その夜に夢を見た。
西方より無量の仏菩薩天人衆が、
みんなで妓楽を奏して、老僧を迎えに来て、天に帰って行った。
その霊夢の日を尋ねれば、まさに覚入が寂滅した日であった。

だから、覚入は間違いなく往生したのであろうよ。



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