中国・日本においても舎利供養は古来から盛んで霊験談も多く伝わっている。
CarIram
直訳は身骨。異名は駄都(だと)dhAtu
仏の遺身。また、死屍についても言う(日本語刑事用語の「ホトケさん」みたいな?)
後世、「仏舎利」というものは多くは粒状で、きわめて硬く、光沢がある。
乳白色 | 骨舎利 |
赤色 | 肉舎利 |
黒色 | 髪舎利 |
上記右は『法苑珠林』の解説
全身舎利 | 多宝如来の舎利(琳賢阿闍梨の舎利も) |
砕身舎利 | 釈迦如来の舎利 |
生身の舎利 | いわゆる「仏舎利」 |
法身舎利(法舎利) | 一切の大小乗の経巻陀羅尼等 |
仏の舎利は、戒定慧の薫習によって成ずるので、これを供養礼拝すれば功徳があると信ぜられ、
古来盛んにこれを供養礼拝する法会を営み、「舎利会」「舎利講」などと称した。
高野山の常楽会では、四座講式の四座に舎利講を行います。
また、舎利を直ちに如意宝珠と観じて修する秘法あり。
だから、一切の経典も陀羅尼も真言も、すべて舎利なんですよ!
我々も謹厳なる気持ちで書写することによって、
舎利を新たに生み出せるんです!
真面目に梵字の練習しようと思ったよ、隆蓮房は!!
いまさらだが。
仏舎利 (如来や高僧の肉体の一部) |
砕身舎利 (荼毘に付した後に残る) |
骨舎利(乳白色) | 私たちが一般的に「仏舎利」だと思っているもの。 |
肉舎利(赤色) | |||
髪舎利(黒色) | |||
全身舎利 | 例:琳賢阿闍梨 | もしかして「即身仏」ってコレの一種? | |
法舎利 (一切の大小乗の経巻陀羅尼など) |
孝謙天皇のもの。木造百万塔に収めて「舎利塔」と称した。 |
入涅槃の後、仏身を荼毘に付し、その舎利を香姓バラモンが八分。
塔を立てて各自供養した。
舎利を分けるようマツラ族に言ったところ、「尊師は我々のところで亡くなった」と断り、争いになった。
(か〜〜〜〜〜っ、なんでだよ、情けないよね。
「執着してはならない」「放棄せよ」「争ってはならない」
・・・・・ってのが釈尊の教えだったでしょうに!!)
ドーナバラモン(コーリヤ族)が「我々は釈尊の教えを奉じるのである」と言い、分骨されることになった。
1.マガダ国王 アジャータサトル(阿闍世)王
2.ヴェーサーリーのリッチャヴィ族
3.釈迦族(カピラヴァッツ)
4.アッラカッパのブリ族
5.ラーマ村のコーリャ族
6.ヴェーダ島のあるバラモン
7.パーラヴァーのマツラ族
8.クシナーラーのマツラ族
番外。ドーナバラモン(遺骨の入っていた壷をもらい供養)
ピッパリ村のモーリヤ族(仮想の残りの灰をもらい供養した)
一説には次のように三分したと。
1.諸天
2.竜王
3.人間
1898年、イギリス駐在官のペッペはカピラヴァッツから13km離れたピプラワーで古墳を発掘。
釈迦族の収めた仏舎利であることが判明、つまり釈尊の真骨。
それまで欧米人にとって、釈尊は実在の人物であるとは思われていなかった。
(「キリストのように」と教官が言っていたなあ? 欧米人ってキリストは歴史上の人物ではないのか?)
それはタイ王室に送られ、その一部が日本の名古屋の覚王寺にある。行くべし!
仏教を保護したアショーカ王は、八萬四千の塔を作り、根本の八塔から舎利を分けて収めた。
省略。
気が向いたら、そのうち紹介するかも。
ブッダの舎利のほかにも、高弟の舎利や高僧の舎利があり、
現在でも有徳の僧を荼毘に付すと舎利が残ることがあるらしい。
我々が「のど仏」と呼んでいるのは甲状軟骨は軟骨なんで、跡形もなく燃え尽きます。
火葬後に残る、仏が座禅している姿の骨は、実際は第二頚椎です。
「仏舎利(生身の舎利)」を安置するために建てた塔だが、法舎利(仏法の偈誦)を収めたものは法舎利塔と呼ぶ。
天平宝字年間に孝謙天皇の発願による木造百萬塔もそう。内部に陀羅尼(世界最古の印刷物だそうだ)が収めてある。
舎利塔には宝塔形・蓮華形・宝珠形・宝瓶形などがあって、金銅または木造に金箔が貼ってあるものが多く、
中央には水晶の瓶があってそこに舎利が納められている。
密教工芸の極地で国宝に指定されているものもあり、隆蓮房のイチオシはコレ(奈良国博所蔵)。
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密教の大壇中央には「舎利塔」が安置してある。
大壇兼護摩壇だと、舎利塔をカパッと外すと護摩炉が現れます。
もともと「塔」とはstUpa(ストゥーパ)、「(釈尊の)遺骨を納めた塔」のことであったわけで、
仏滅に際して作られたのが起源です。
初めは土饅頭のような単純なものでした。
しかし、広義の仏塔は「枝提(してい)」caitya(チャイトヤ)と言います。
caityaには、
@ stUpa(遺骨を納めた塔)
A gaha(仏像を納めた塔)
B kUta(遺骨と尊像を納めた像)
という区分があるそうです。(舎利のない塔をチャイトヤと呼ぶ説もある)
それが各地でどのように展開していったか、さらっと見てみましょう。
東南アジアの塔は、比較的古い様式を残していますが、東アジアの塔とはまったく違った方向に進化しています。
有名なシュエダゴンパゴダを初め、キンキラキンだったり、とにかく派手でシャープなシルエット。
シュエダゴンパゴダ
中国や日本と決定的に違うのは、「舎利を納める容器」ではなく、「釈迦の家」だということで、
パゴダの中では裸足にならなければならない。
裸足でエレベーター・・・・・初めての体験でした・・・・・。
ってか、「境内は裸足で!」っていう所もあった。
ミャンマーのパガンに雨後の筍のようにニョキニョキとパゴダ(「パゴダ」というのはミャンマー語ではなく英語)が乱立しているのは圧巻で、まだまだ土中に埋まっているそうです(3000塔以上あるそうな)。
今後の発掘が楽しみですね。
因みに世界三大仏教遺跡には、パガンの他にカンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールがあります(敦煌は違うのね・・・・・)。
付け加えておくと、アンコールワットとボロブドゥールは大乗の遺跡。
アンコールワット
ボロブドゥール
特にボロブドゥールは曼荼羅の世界観を立体的に現わしているが、曼荼羅上に仏塔が並んでいるのも面白い。
中国にある高層の建物「楼閣」とミックスされて、インドとはまったく違った進化を遂げていきます。
密教経典の「五峰八柱宝楼閣」なんかも、中国ではこういう風に認識されるわけね〜、とほくそ笑んでしまう。
しかし、このように造形は大きく変化してしまったものの、「舎利を納める容器」であるという根本的な点は踏襲している。
いや、でも、よく見ると細部だって忠実にインド様式を再現しているんですよ(中国人の美意識というフィルターはかけられているんですけどね)
韓愈が「論仏骨表」を奉って左遷された舞台である法門寺真身宝塔。
李白の詩で有名な黄鶴楼。夜はライトアップされて超ド派手らしい。
これぞ、中華!!
朝鮮半島および日本では、当然のことながら中国の様式を伝えているのですが、朝鮮のことはよく知らないので日本のことに絞ります。
日本の伽藍における「塔」にはいくつかのパターンがありますが、
共通して言えるのは、中国のものとは違って内部を登れない(上ることを目的としていない)ことでしょうか。
「三重塔」や「五重塔」が有名ですが、二重〜十三重の塔まであるそうです。
が、じゃあ五重塔は五階建てで十三重の塔は13階建てかというとそうではなく、屋根がそのようにかけてあるだけで、
言葉は悪いですが「なんちゃって楼閣」なんですね。
せいぜい二階まで上れるかな〜って言うものが多く(それも階段じゃなくハシゴが渡してあるだけとか)、
要するにシンボル的なものです。
(高野山の根本大塔もそう。二階に入れないことはないらしいけど参詣するようにはなっていない)
最近新しく立てられたようなものは、展望台を兼ねて実際に上れるものもあるけれどね。
因みに、一番古い木造五重塔は法隆寺(ってか木造世界最古)、一番大きい五重塔は東寺です!
成田山三重塔
その他に、「多宝塔」と言われる形式のものがあります。
「多宝塔」と「宝塔」は厳密には違うものだと言われています。
そもそも「宝塔」は「塔」の美称、つまり「塔」だけだと味気ないんで「宝」という形容詞をつけたわけです。
「スチュワーデス」ではパッとしないので、「美人スチュワーデス」と称するようなものです・・・・・ちょっと違うか?
これに対して「多宝塔」は『法華経』見宝塔品第十一に出てくるもので、
「釈尊が法華経を説法していると多宝塔が現れ、中にいらっしゃった多宝如来が半座を空けて、釈尊に座を譲った」
というエピソードに由来するのですが、
実際に『法華経』中に多宝塔の具体的な記述は出てこないので、本当のところの多宝塔の形は不明です。
しかし、この章(仏典では「品」はチャプター、つまり「章」の意味)はとてもドラマチックで有名な部分なので絵画のテーマになっています。
蛇足ですが、真言宗常用経典には『法華経』からは25章にあたる俗称「観音経」が入っていますが、見宝塔品はありません。
けれども、このストーリーの焼き直しとも言える陀羅尼「宝筺印陀羅尼」が入っていて、これは毎朝読むくらいポピュラーです。
さて、要するに、釈尊と多宝如来の二仏が座している塔が「多宝塔」です。
私は、ミャンマーで一塔の中に二仏が座しているパゴダを拝観した事がありますが、関係があるのかないのか不明です(ないと思うけど)。
さて、法華経の多宝塔がどんなものであるかは不明ですので、次に行きます。
実際に建築された塔のうち、現代において「多宝塔」と称するものは、初重を平面方形、二重を平面円形とする二層塔です。
ここでは、これを狭義の「多宝塔」と致します。
この形式の塔は、日本独自のものだと言われています。
さらに狭義には初重が方三間(一辺に柱が四本立ち柱間が三間あるの意)のものを「多宝塔」と称し、方五間のものを特に「大塔」と称します。
これを発案したのは、実に我らが弘法大師で、高野山の根本大塔がソレなんです。
大師の生前(というか入定前)には完成しなかったんですけど。
この密教独自の多宝塔は『法華経』とは全然関係なく、「南天の鉄塔」を模したものです。
「南天の鉄塔」とは、「南天」つまり南インドにあったとされる伝説の鉄塔で、
大日如来から密教を伝えられた金剛サッタは教えをその鉄塔に納めておくんですね、
それを竜樹(密教では「龍猛:りゅうみょう」と呼ぶ)が開いて伝承される・・・・・
ここから人間界に流伝するのですから、密教においてはとても重要なモノなんです。
確か、現在日本人が発掘していると聞いたけど・・・・・。
一番古い木造多宝塔は石山寺多宝塔、一番大きい木造多宝塔は根来寺大塔です。
高野山大塔
その他、密教系のものには石造の「五輪塔」や「宝篋印塔」なんかもありますが、ここでは省略します。
鑑真3,000粒将来。
弘法大師80粒将来。今も東寺に。不思議なことに増えてるそうです(増えるという話はよく聞くが)。
毎朝6時に生身供を修していて、最後に参拝者は頭と手に頂けます。行くべし!
(なお、東寺は国宝もいっぱい。毎年春秋二回に宝物を公開するので行くべし!)
「東寺」というからには「西寺」もあったのですが、今は存在していません。
舎利は拝めば増える。
まあ、そんなわけで、世界中の舎利を集めるとインド象ほどになるそうですが、
気にしちゃいけません。
弘法大師将来の仏舎利80粒は甲乙二瓶に分納して、大経蔵に安置され、
代々の長者(東寺のトップのこと。高野山のトップは「座主」という。時代によっては東寺長者が高野山座主を兼ねたこともある)が大事に大事に守護してきた。
『御遺告』に「東寺座主大阿闍梨が、如意宝珠を護持すべき縁起第二十四」がある。
ここに如意宝珠を作る方法が書いてあり、
(私が高野山にいたころ、先輩から「近年実際に作ったことがある、でも僕は高すぎて手が出なかった」
という話を聞いたことがある。このレシピに従ったかどうかは知らないが、「如意宝珠って作れるのか!」と思った記憶があります)
それによると、仏舎利32粒を使用するらしい(この場合、厳密には材料というわけではないようだが)。
また「如意宝珠は種々の宝石の中の皇帝であり、実体は釈迦如来の分身である」とある。
そして
「大経蔵の仏舎利は、大阿闍梨が須らく伝法印契を守り惜しむようにせよ。
一粒も他に散じさせてはならない。
これは如意宝珠なのである。
これ(を護ること)が密教を守ることなのである。
仏舎利は悟りを生ぜせしめる本である」とある。
仏舎利は仏の残骸に過ぎないのではなく、如来の種なんですね。
(ちなみに、ウ一山(ベンイチサン:室生山のこと)には大師が宝珠を埋め、我々は毎朝ウ一山に向かって拝む)
この東寺の仏舎利は、天下豊穣の時は増え、国土衰頽の時は減少するそうです。
近衛天皇の久安二年四月一日、高野御室覚法親王が東寺仏舎利二粒を奉請し(んん? いいのか?)、
これを七宝塔に納めて金堂に安置し、始めて舎利会を行い、
以来ず〜〜〜っと毎年四月23日に金堂で大法会を厳修しています。
康保5年(968年)成立の雅真撰『金剛峰寺建立修行縁起』は、初めて「入定」という単語が出てくる。
問題は、その後に続く文です。
則ち承和二年乙卯三月二十一日、寅の刻、結跏趺坐して大日の定印を結び、奄然として入定したまう。(中略)
然りと雖も世人の如く、喪送したてまつらず。
厳然として安置す。
則ち、世法に准じて七々の御忌に及ぶ。
御弟子等、併しながら以って拝見したてまつるに、顔色衰えず鬚髪更に長す。
之に因って剃除を加え、衣裳を整え、石壇を畳んで、例(つね)に人の出入りすべき許りとす。
其の上に石匠に仰せて五輪の率都婆を安置し、種々の梵本陀羅尼を入れ、其の上に更に亦宝塔を建立し、佛舎利を安置す。
其の事、一向に真然僧正の営む所なり。
ここで気づいたのが、梵本陀羅尼は「法舎利」、仏舎利は広義の仏舎利の内の「砕身舎利」であり「狭義の仏舎利」そのものです。
そして、大師ご自身は「広義の仏舎利」の内の「全身舎利」です。
よって、この入定所には「舎利」の全ての要素が終結しています。
なんか、スゴくね?
そしてまた、顕教的宝塔(仏舎利を納めた塔)と密教的五輪塔も備えている。
「卒塔婆」とは塔(stUpa:ストゥーパ)の音写(音写とは、ぶっちゃけ「夜露死苦」系の当て字です)であり、
ストゥーパとはそもそも釈尊の遺骨(=仏舎利)を安置した塔であったのが起源であるというのは先述しました。
そして、その塔を五輪(五大とも言う)、つまり大師の将来した密教の世界観を以ってして表現したものを日本では特に「卒塔婆」と称します。
ストゥーパを漢訳した「塔」だと主に仏舎利を安置する塔やそれを起源とする高い建物(今や仏教に関係なく高い建物を「塔」と称することもある。タワーってことですね)を指すが、
音写で「卒塔婆」と書くと密教の世界観を現す塔やそれを起源とする供養塔などになるわけです。
前述の通り、塔には「釈尊の遺骨を安置する容器であり、釈尊(の尊像)の住まう家である」という二つの要素も在りました。
この入定所は、舎利を安置する容器であり、大師(という生身舎利であり仏である方)の家でもある、という完璧さ・・・・・
大師&真然コンビ、最強!!
入定所にみる舎利と塔の関係。
舎利 |
仏舎利 |
砕身舎利 |
釈尊の仏舎利 |
仏舎利の容器としての「塔」。 引用文では「宝塔」、つまり顕教的な「塔」であり最も原始仏教に近い? 卒塔婆の上に安置した。 |
顕教的な塔 |
塔 |
全身舎利 |
大師自身 |
ブッダが住まう家としての「塔」 に当たる、顕教的な「塔」。 引用文では基壇として最下層にある? |
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法舎利 |
|
梵本陀羅尼 |
法舎利の容器としての「塔」。 引用文では「卒塔婆」、つまり密教的な「塔」。 基壇の上に安置した。 |
密教的な五輪塔(卒塔婆) |
蛇足で「宝筐印塔」ってのもありましたね。
陀羅尼を収めておく塔ですので、梵本陀羅尼を収めた五輪塔は宝筐印塔をも兼ねていることになります。