金剛サッタ堂

金剛サッタ百字真言


オン・ベンザ・サト・サマヤ・マヌパラヤ

ベンザ・サト・テノパ

ティタ・ディド・メバワ・スト・カヨ・メバワ

スポ・チャヨ・メバワ・アヌ・ラト・メバワ

サルワ・シッディ・メタヤツァ

サルワ・カルマ・スツァメ

ツィッタン・シュリヤン・クル・ホン

ハハ・ハハ・ホー

バガワン・サルワ・タターガタ・ベンザ・マメムンツァ・ベンザ・バワ

マハ・サマヤ・サト・アー



<意味>

オーン、金剛サッタよ。
三摩耶(誓願)にしたがって、私をお守りください。
金剛サッタの位に安住して、私のために堅固なるものでいてください。
妙なる歓喜よ、私のために愛好される者でいらしてください。
繁栄よ、私のために愛好される者でいらしてください。
増益よ、私のために授与してください。
一切の悉地を、私にお与えください。
そして一切の事業(じごう:所業)において、私のために、心の吉祥が実を結ばせてください。
フーム。
ハ・ハ・ハ・ハ(笑声)・ホーホ(歓喜の声)。
世尊一切如来の金剛よ、私のために(菩提心を)捨てないでください。
金剛を有するものであってください。
(衆生を残らず救済するという如来の)大いなる本誓のサッタよ。
アーハ。




<金剛サッタとは>

金剛サッタは過去未来現在全ての仏の身口意を集約した象徴です。
ゆえに、金剛サッタに帰依することは、全ての仏の御心と智慧に帰依することになります。


全ての仏の集約した結晶ともいえ、
或いは普賢菩薩(sktサマンタバドラ/tibクンツ・サンポ/原初の仏)と同体であるとも言われます。
普賢菩薩とは、全ての仏の始まりであり、
沢山の経典・教えは普賢菩薩から発しています。

金剛サッタは釈尊のように肉親から生じたものではなく、
色究竟天の法界宮殿中に、一切仏の心の智慧が凝縮して生じたという事です。

そして、金剛サッタは菩提心を生じた時に
「私のそばの、地獄に落ちる寸前の者も救われるだけの力を持ちますように」
「一切衆生がたとえ苦しみの中にあっても、
自分を思い出し自分の名を呼びさえすれば、その苦しみから救い出す事がで来ますように」
と、強い誓願をなされました。



<金剛サッタの功徳>

金剛サッタの特に勝れている功徳は、
過去世にわたって積み重ねてきた無知・煩悩・業の汚れをすべて浄化します。

もっとも深い罪である五逆罪や密教の誓いを破った者でさえ、その名を聞くだけで浄化できるということです。


*五逆罪とは?
父・母・尊い教えを授けてくれる師・阿羅漢(嫉妬や欲をなくした聖者)を殺す。
仏の身口意に対する冒涜(仏像・仏画・経典・仏塔などを破る・またがる・捨てるなど粗末にする)。

*注
一般に言われている五逆罪は、
父を殺す・母を殺す・阿羅漢を殺す・サンガの和を破る・仏の身体から血を流す。
これらの罪を犯したものは、裁きを受ける機会すらもなく、一気に最下層の最悪の地獄である無間地獄へ直行します。
無間地獄とは、絶え間のない(=無間)苦しみに苛まれる地獄。

なぜ、「師を殺す」が入っているのかというと、
仏弟子を尊い仏の教えに直接結び付けてくれるのは、ほかならぬ師だからなのです。
「師があってこそ仏の教えに出会える」ということで、
密教ではとりわけ師を大事に考えます。

三宝(仏法僧)の上に位置することさえあります。



<百字真言の功徳>

これを唱える事によって、浄化できぬものは何一つありません。
この百字真言は、密教行者にとってはとても重要で、
過去現在未来の仏から息子のように慈しまれる事になります。

ご本尊として毎日唱えれば、
行者は死に際して、全ての仏が子を見守るように守護されて解脱の道を示して頂ける事でしょう。

チベットの加行では、この百字真言を10万遍お唱えします。
とてもポピュラーな真言で、色々なお勤めによく出てきます。
金剛サッタの灌頂もよく開檀されていますので、機会があったら是非ご参加ください。



<参考>

日本でも、金剛サッタの百字真言をお唱えすることがあります。

そもそも金剛サッタとは、日本の伝授において、非常に重要な位置を占めています。
伝授においては、受者は金剛サッタとして、大日如来である阿闍梨様から教えを受けます。
これは、密教が大日如来から金剛サッタへと伝えられた一番最初の伝授をなぞらえたものなんです。

大日如来の微妙で深遠なる教えをそっくりそのまま受け入れられる他者というのは存在しません。
ですから、大日如来は金剛サッタを生み出します。
生み出された者は、生み出したものの性質を受け継いでいます。
つまり、金剛サッタこそが大日如来の分身のようなもので、
大日如来と同質であるがゆえに、大日如来の境地を100%理解する事ができるわけです。

金剛界系の行においても、行者は金剛サッタとして曼荼羅に座したつもりで行を行います。
(胎蔵系では般若菩薩として行に臨む)

今時の加行の十八道や金剛界では、この百字真言は出てきませんが、
もう少し煩雑な次第(石山次第など)ではフリつきで出てきます。
もともとは略出経などに出てきます。

この百字真言は、簡単に言うと、
身口意を金剛堅固にする真言です。

この真言を唱える事によって、
極悪非道の行いをしたものでも、一切の如来を誹謗したものでも、
正しい教えを捨てるものも、あらゆる罪を犯したものも、
この世において速やかに、一切の悉地・最高の悉地・金剛の悉地を望みのままに達成します。