38、大乗房證印

伝法院の学頭であり、密厳院の院主である。
性格は慈悲にあふれていて、
顕教・密教をよく学んでいて、
在りし日の行業は枚挙にいとまがない。

文治3年(1187年)7月12日。
軽い病に犯された。
例に違わず、それでも心念衰えることなく、
自行に怠りはなかった。
同15日朝。
諸仏の歓喜した日、僧たちの見守る中、
心を安んじて端座し、大日五字の誦をとなえ、
門弟たちには不動慈救呪を誦えさせ、禅定に入り、遷化した。
このとき年は83であったという。


注記

1105-1187
高野山大伝法院学頭、證印方の祖。
字は大乗房。
覚鑁上人の弟子。
文治3年7月15日入寂。
寿83
付法に玄證。


以上、高野山往生伝。

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