高野山往生伝
序文と解説
私は、伝記というものが好きです。
今生の記憶しかない多くの人にとって、
伝記は別の人生を教えてくれます。
新たな発見があり、今後有意義な人生を送る助けとなります。
しかし、どんな素晴らしいことが書かれていても、
難解な文章では、新たに学ぼうという人の意思を削ぐことになりかねません。
ですから、なるべく平易な文章になるように心がけました。
しかし、悲しいかな、隆蓮房は浅学非才。
誤りもあるでしょう。
訳し過ぎもあるでしょう。
ご意見・ご感想はいつでもお寄せください。
まずは、「仏書解説大辞典」より、
「高野山往生伝」の項を取り上げ、序文と致します。
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高野山の開創者・弘法大師空海の教えは、
身(身体)・口(言葉)・意(こころ)の三密加持を行うことによって、
生きながら覚りを得て仏となる「即身成仏」を目標とするものであった。
高野山は地理的に、京の都を離れ、
深山幽谷、峰高く雲深く、大樹巨木がそびえ、
俗世界から遥かに離れたところにあった。
そのようなわけで、開山後数百年、
特に源平時代を中心として、遁世者が相続いて高野山に入り、
幽境に心行くまで念仏三昧を行い、
西方極楽浄土を望む人々が集まることとなった。
「高野山往生伝」は、そんな時代・・・
永承より文治(1046〜1160ころ)に至る150年ばかりの間における
著名な行者38人の簡単な伝記を集めたもので、
高野山における浄土思想の資料である。
撰者は如寂。
1184年頃の河内法界寺の学僧である。
俗姓や詳しいことは不明である。
法界寺に住して真言を宗としていたが、傍らで浄土宗を修めた。
元暦年中に法界寺を捨て、高野山に登り、90日間修行をした。
のちに色々な僧の見聞を記して『高野山往生伝』を纂述したのである。
寿および入寂年は不明。
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ポイント解説
高野山は、弘法大師が修行の場として開創した地です。
(それに対して京都の東寺は、庶民に布教をするための場です)
弘法大師の伝えた密教は、「即身成仏」
つまり生きながら覚りを得る、ということでした。
しかし、時代が下って世に浄土思想が広まってきました。
簡単にいえば、
死後、阿弥陀サマの極楽浄土に往生しよう、
という思想です。
生きながら覚りを得て、
・・・・密教は大日如来ですから、その浄土は密厳浄土というのですが・・・・
という思想とは、ちょっと違いますよね。
弘法大師は今も禅定に入っている、と言います。
死んだのではないのです。
そういったいくつかの思想がミックスされた高野山独自の浄土思想を知る資料となるのが、この「往生伝」なのです。
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