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| 2006年5月31日(水) |
| 臨終行儀・続 |
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昨日の続きです。
4.病人に勧めること
いよいよというときになったら、「今最後、臨終のときである」
と耳にあてて聞かせます。
聞こえたと思ったら、その後は何も言わないようにします。
そのときは、身体にさわったりしません。
5.病人を苦痛から避けること
看病の人は、病人をないがしろにする口のきき方はよくありません。
病人を仏のように思って敬い、
あるいは我が子のように思って憐れをかけるのです。
色々と好きなものを聞いては食べさせます。
時期でない食べ物を言うのが病人の常であるようですが、
与えないと未練が残るのでできるだけ与えましょう。
また看病する人は、騒々しい人は心のよくない人を病人の近くに来てもらわないようにします。
酒や肉、臭いの強いもの(葱や韮・大蒜など)を食べた人も近くに寄せないようにします。
6.かねてから念仏を習うこと
心を集中して十回「南無阿弥陀仏」と唱えることを十念と言います。
こうして、仏の御名を唱えることによって浄土に行くことのみを願うのです。
そのため、病人は南無阿弥陀仏と十回唱え、
付き添いの僧侶(または行者)は磬を鳴らし、発願します。
西方極楽浄土の阿弥陀如来の本願には誤りはない、
聖衆と共に来迎して、必ず行者(ここでは病人のこと)を引接したまえ、と。
7.最後の一念によって往生すべきこと
いよいよとなると、
静かにして、僧侶(または行者)以外の人を近づけないようにします。
病人は五色の糸を手にとり、また手に印を結んで往生浄土の心になります。
「仏以外の姿を水、法音以外の音を聞かない、
一心に南無阿弥陀仏と唱え、出る息が終わった後は、極楽に到着している」
このように励ましの言葉をかけます。
もし、病人が声が出なくて「南無阿弥陀仏」の六号を唱えることが出来なければ、
阿弥陀の「阿」の一字を唱えます。
最後の出る息と共に、
「南無阿弥陀仏」或いは「阿」と唱えることを僧侶(行者)も祈り、病人も思うべきです。
また、清い水を置いて、それに紙を浸して唇を濡らし、
また蛤の貝でもって唇を常に濡らします。
そうした上で、十念を常に唱えさせるのです。
これは末期の水の古い形なのでしょう。
こうして息を引き取ったならば、
たとえ五逆を犯した悪人でも往生できると言っています。
因みに五逆とは、閻魔法王の裁きを受けることすらなく、
まっさかさまに一番下の地獄へと落ちていく罪で、
1.父を殺す
2.母を殺す
3.師を殺す。
4.仏の身を傷つける
5.仏弟子の和合を破る
です。
さて、病人が死んだあとでも、僧侶(行者)は真言を唱え、
その場を立ち去ることをしません。
立ち去る場合には、不動明王、或いはウスサマ明王の図像をかけて立ち去るべきです。
・・・という注意書きがありました。
ウスサマ明王とはお手洗いの神様でも有名で、
穢れを清める役割を果たしています。
チベットの修行法では、死ぬことを再現(?)するものなどありまして、
いかに死ぬか、と言うことは大事なようですね。
いわば、死ぬ練習をしておくのです。
それから、阿弥陀浄土を詳細に観想します。
もちろん、悟るのが一番いいのですが、
浄土に生まれ変わるということは、
直接仏様から説法受けることが出来て、
悟りへ至る最短コースなのです。
最近、ちょっと堅い話ばかりでしたね。
そのうち、阿弥陀浄土のお話をしたいと思っています。
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| 2006年5月30日(火) |
| 臨終行儀 |
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今日は、友人の誕生日。
Happy Birthday!!
さて「生」もあれば当然「死」もあるということで、
本日は臨終行儀のお話。
つまり、その時を、どう迎えたらいいか、ということです。
恵心僧都の「往生要集」がおおもとですが、どうせなら、真言宗の立場から。
覚鑁上人の著作と言われている(実際には違うらしいですが)
「孝養集」の中にも臨終行儀が説かれているので、
それをご紹介いたしたいと思います。
1.かねてから臨終の用意が必要
臨終をむかえるときには、病人に血縁者や財物を愛し、それを離れることを惜しむ心や、
わが身を愛し、命を惜しむ心、
この世を愛着して、もういちどこの世に生まれたいと思う心が生じるそうです。
そうした心が起こるために、死ぬことが大変につらいものとなります。
こうした心では、たとえ極楽に行くことを強く願っても、
現世に未練が残りますので、
心残りのないように財物を寄進し、
雑務を人に任せて浄土のことだけを考えるようにしなければなりません。
2.道場の飾り方
ここでいう道場とは、病室を修行の場にみたてての名前です。
場所は西方極楽浄土の方角にあたる西日の当たるところがよいが、
これが出来なければ、僧坊、
あるいは人の家に新しいものを敷き、屏風をたてて仕切りとします。
病人がいよいよのときは、座って西にむかいます。
病人が伏している場合は、北枕にして面を西に向けます。
次に、三尺の阿弥陀像を用意します。
病人の希望によっては他の仏像でも、画像でも構いません。
これを病人から五尺くらい離して置き、寝たままでもよく見えるところに置きます。
そして、仏像の左手に五色(青黄赤白黒)の幡または糸を取り付け、
その一方を病人の右手の指に掛け止めます。
3.仏事に詳しい人を招く
病人のために善智識(高僧、または在家の行者)を3人または5人招き、
浄土の話を聞かせます。
また、五人のそれぞれの役割は、
一人は仏教の摂理を説いて聞かせる、
不動明王を念じて魔の力を封じる、
磬をたたいて念仏を唱える、
静かに経を読む、
雑用をする
ということです。
長くなりましたので、続きは次回・・・。
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| 2006年5月29日(月) |
| 続・死ぬ瞬間 |
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皆さんは蝶々が好きですか?
蝶々というのは、死のシンボルだそうです。
あるいは魂が、蝶々のようにはばたいて飛んでいくということを現しているそうです。
これは、ロス女史が、ナチの収容所でなくなった子供たちのいた板壁に、
蝶々の絵が至るところに描き残されていたことを見たときから考えついた結論のようです。
そういえば、ヤマトタケルも白い鳥になって飛んで行きますよね、
鳥の死、魚の生というのは、アジアの共通したイメージなんだと聞いたことがあります。
さて、今日はレビューを参考にしながら、考察を進めていきましょう。
以下、引用です。
ひとつの疑問は、おそらくキリスト教的死生観から来る「受容」をベターとみなす価値観である。
「死」が約束されている人は、「死」と闘おうとせず、
静かに来るべき「死」と和解したほうがよい、
という価値観から設立されているのが、ホスピスである。
しかし、宗教的なバックグラウンドなしに、「死」と和解して死んだほうがよい、
と言い切れるものだろうか?
あくまで「死にたくない、生きていたい」と生に執着する生き方もあるのではないだろうか?
この本に関して、以上のような疑問があまり表立って唱えられていないが故に、
わたくしは不思議に思う。
実際、日本という非キリスト教国では、ホスピスはあまり機能していないのだ。
疑問は呈したが、末期医療に一石を投じた古典であることは間違いない。
日本の読者と言えども一読の価値はある名著だ。
もうお一方。
治らない患者に医者は冷たい、という。
病院は病気を治すところであって、治る見込みのない病気は、
もはや医者のものではない。
末期医療の重要性が認識されて久しいが、この現状は今もかわらないようだ。
治る見込みのない病に冒され、死を待つしかない患者の心は、想像を絶する。
本書はそうした末期患者へのインタビューを通して、
患者の怒り、恐怖、不安、悲しみを和らげていく試みの記録である。
東洋医学でも、治らない患者に医師は冷たいかもしれませんね。
中国の王様が病気になり、医師を呼びました。
ところが、その医師は、
遠くから王様の顔を眺めただけで、慌てて逃げ出しました。
王様は不治の病だったのです。
チャングムにもありましたが、
王様の病気が悪化したり、死亡したりした場合、医師は処分されました。
また、インドの伝統医学アーユルヴェーダにも、
医師は、治る見込みのない患者をみるべきではない、
とハッキリ書かれています。
では、終末期医療(ターミナル・ケア)がまったくなされなかったのかというと、
そうではありません。
仏教版のホスピスが、ビハーラです。
ビハーラというのは、インドのサンスクリットという聖なる言葉で、
休養の場所、散歩して気晴らしをすること、仏教徒の僧院・寺院
と言うような意味を持っています。
往古、その施設は
一つには病人に供給す。
二つには病のために医薬の具を求む。
三つには病者のために看病人を求む。
四つには病者のために法を説く。
・・・というような諸機能を果たしたということです。
なお、ホスピスという言葉は、
中世におけるキリスト教の聖地巡礼に伴う宿発施設、
という意味から発展してきたわけです。
たとえば、旅人が病や健康上の理由で旅立つことができなければ、
そのまま滞在してケアや看護をしたことから、
看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになりました。
教会で看護に当たる聖職者の無私の献身と歓待を
ホスピタリティと言います。
「温かいもてなし」ということです。
ですから、病院(ホスピタル)は、温かいもてなしをする場所が本義なわけです。
日本では、源信の「往生集」が有名です。
この中には、これでもか、というぐらい地獄の恐ろしさが描写されていて、
(もちろん浄土の描写もあるのですが)
ルターが、臨終の際に地獄を想像しないほうがいいと言っているのと対照的です。
さて、この「往生集」の中に、「臨終行儀」が説かれていて、
どのように死を迎えるか、ということがよく解説されております。
長くなりましたので、この辺で・・・。
実は隆蓮房、ホスピスボランティアの資格を持っております。
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| 2006年5月28日(日) |
| 死ぬ瞬間 |
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あまりにも有名な、エリザベス・キュブラー・ロスの一連の著作です。
本日より、ちょっと語ってみたいと思います。
まず、ご存知のない方のために、少々説明いたしましょう。
この本の中で、末期患者であると告知された患者は、
死を受け入れ、死に至るまで、5つの段階を経ると分析されている。
1.否認
衝撃的な告知を聞かされたとき、そのショックをまともに受けないために、
まず否認する。
「俺がガンになるわけがない!」
2.怒り
死という現実を認めざるを得なくなると、次に怒りや恨みが発生する。
「何故、俺が、俺だけがこんな目にあわなくっちゃあならないんだ!!」
その怒りは、周囲の人に八つ当たりされたりすることもあり、
周囲の人は患者を避けるようになることもあり、孤独感も募るだろう。
そして、怒りはいや増すことだろう。
3.取引
次に人は神に対して、自分がどうしたら延命できるか懇願する。
それは、取引という形をとることが多いようだ。
「お金はいくらかかっても構いません。どうか命を助けてください。」
4.抑鬱
以上の段階を経て、それらが無駄であることを知って、
患者は抑鬱状態におちいる。
病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。
この世との別れを覚悟するので、
他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験する。
「・・・・・・」
5.受容
最後に患者は、
来るべき自分の終焉を静かに見つめることのできる受容の段階に至る。
「長い旅の前の最後の休息」の時が来たかのように。
静かな境地に至る・・・。
以上がロス女史がまとめた
死への心理の5段階
です。
しかし、すべての人が順にこの段階をたどるわけでもないようです。
ある段階に留まってしまったり、
飛び越えてしまったり、
錯綜する人・・・・。
しかし、一般的に死が近づくと、無意識に死を悟るもののようです。
人は死を成長の機会として捉え、
静かに尊厳なる死を迎えるためのこころ構えが必要・・・・
とロス女史は希望しているようです。
一寸長くなってしまいましたので、
次回に続きます。
※今、「じかい」と入力したら、「持戒」だってさ。(爆)
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| 2006年5月27日(土) |
| 焼香の数と線香の本数 |
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実は、ある真言僧の方のブログでちょっと話題になっていました。
何故宗派によって違うのか?
とか、厳密な回数はどうなっているんですか?
とか、回数には意味があるのですか?とか。
そこで、私の場合を少し説明しましょう。
まず、私は、いわゆる葬式坊主をやったことがあって、
そのときは参列者が多かったりすると混雑するため、
普通、焼香は一回です。
さて、では普段のおつとめや修法の時はどうかと申しますと、
私の属している流派では、抹香(粉末の御香)をコの字型に敷き詰めます。
ですから、その画数にそってまず3回焼香をします。
これが本義なのですが、略式のときは線香で済ませてしまうこともあります。
その場合も1本のこともありますが、
師は3本、或いは1本を3つに折って3本にして横に寝かせて置きます。
修法のときは、その後も焼香する個所が出てきますが、回数は全て一回ずつです。
私の師僧のそのまた師僧という方は、
高価な香を惜しげもなくお使いになったそうです。
それは、香・・・・香りというものはすぐ消えてしまう・・・・
非常にはかないお供え物。
ゆえにとても尊いと思っていらしたみたいです。
2005年の4月20日22日にも関連記事が出ていますので、
チェックしてくださいね。
よい御香をお使いになられると言うことは、
心も豊かになれますよ。
お金に比例するわけではありませんが、
みほとけも香りの供物をお喜びになると思います。
たまには勝負香もいいのでは?
煙の出ない線香?
匂いの少ない線香?
論外ですね。
よい御香と言うのは、本当に妙なる香りがするものです。
ただ見分け方は非常に難しいです。
私も焚いてみないとわからないです。
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| 2006年5月26日(金) |
| ブログ選び |
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隆蓮房覚書として、
つらつら、つれづれなるままに、ひねもす書き綴ってまいりましたが、
読者の反応が欲しい!
勿論、掲示板にカキコしてくださる方もいらっしゃるんですけどね。
それで、ブログへのお引越しを考えております。
まずはYahoo!,
なにしろプロバイダがYahoo!なものですから。
容量無制限と言うところに惹かれました。
しかし、スキンが変えられるのかどうか、よくわからない。
余り凝ったカスタマイズは出来なそう・・・
でも、すご〜く素敵なブログをおつくりの方もいらっしゃいました。
HTMLは多少(?)わかるんだけど、
Wikiって何さ?
全然わからんちんどもとってもちんだ。
まあ、いいんだけどね。
先日購入したブログ初心者向けの本、
gooブログを例にとって説明してありました。
こちらはHTMLエディターというので、
ワープロソフトの感覚で作業が出来ちゃうみたいです。
容量は3GB.
まあ、大いに越したことはないんだけど、
そのくらいあれば大丈夫だよねえ・・・。
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| 2006年5月24日(水) |
| マルチカードリーダー使い初め |
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私は前の携帯と今のデジカメのメディアが、メモリースティックディオです。
で、この間の新婚旅行に行くとき、
張り切ってメモリーカードProDuo512MBのを買っちゃったんですねえ。
そしたら、
私のアダプターでは読み込めない!!
そんなわけで、新しいアダプターを買いに・・・。
しかし、ProDuoを読み込めるのって意外と高いのね・・・。
そんなんで、
マルチカードリーダー
を買いました。
これはUSB接続なんですが、
スマートメディア・SDメモリーカード・コンパクトフラッシュ・マルチメディアカード・
マイクロドライブ・メモリースティック・メモリースティックProに対応しています。
勿論、付属アダプターを使えば、miniSDも、メモリースティックDuoも、ProDuoも使えます。
(他のアダプターを壊しても大丈夫だね・・・)
そこで、じっけ〜ん!!
使ってみました。
問題ナッシング!
いままでのアダプターよりがさばるけど、
専用の袋までついているのがニクイね。
大事に使います。
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| 2006年5月23日(火) |
| LOFTに行った |
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昨日、バラの花を買いに行こうと、仙台の街中に出ました。
久しぶりです。
LOFTが出来ていましたので、
入ってみました。
すっごお〜い、
私の欲しいものが網羅されている!!
アロマ用品、レター用品(以外に筆まめな隆蓮房)、
ちょっとしたセンスのよいシール、
美術用品の品揃えがいたれりつくせり・・・。
大きな本屋さんも。
そして、
ビーズショップも!
会員割引があると言うので、
早速入会。
入会費¥525円でしたが、あっさり元は取れました。
だって、チェーンを
「何mお切りしますか?」
「5メートルお願いします」
「2メートルですか?」
「いや、5メートルです」
素人じゃないことバレバレ。
店員さんあせっていました。
他にも天然石は勿論、
スワロフスキー、
トンボ玉、
べネチアンビーズ・・・などなど。
まあ、ジュリちゃんが、暫くしたら婚家にあるビーズ用品を送ってくれると言うので、
それから、欲しいビーズを買いに行ってもいいでしょう。
それからね、仙台には、ピンクハウスショップが2店、
アウトレットショップもリサイクルショップもあるんです。
ハウサーには大変よい環境です。
ああ、仙台に暮らしたいなあ。
まあ、今の実家のある住所は、仙台と言っても、近郊の亘理町というところなんですが、
電車一本で仙台に出られますし、
近くには大きな川も流れていて、
絶好のウォーキングコースです。
もう一寸回復したら、太極拳の練習をやり直したいと思ってしまいました。
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| 2006年5月22日(月) |
| 母の誕生日 |
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今日は母の誕生日です。
何か美味しいものを・・・と思っても、
すでに老齢に差し掛かっているので、
そんなにたくさん食べないしね。
欲しがっていたリュ・シウォンのDVDでも、と思ったのですが、
果たしてもとをとれるだけ観るんでしょうか?
やっぱり花が無難かなあ。
久しぶりにモロゾフのプリンなんていうのもいいかも。
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| 2006年5月21日(日) |
| 私の名前はキム・サムスン |
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DVDを借りました。
サムスンとは、笑いを誘う名前らしいです。
主人公はその名前がいやでいやでしょうがなくて、
ヒジンに改名しようとします。
サムスンって、日本語に訳するとどんな名前なんでしょうね。
トメコとか、そういう感じなのかなあ・・・・。
妹のお婿さんの韓国人に聞いてみればよかった。
でもサムスン電気ってありますよね・・・。
う〜ん、よくわかりません。
でも、このドラマ、非常に面白いので・・・・最後は尻すぼみですが・・・・
一見の価値ありです。
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| 2006年5月20日(土) |
| ダ・ヴィンチ・コード特集番組 |
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皆さんご覧になりましたでしょうか?
2時間に及ぶスペシャル番組。
この番組の中では、
コンスタンティヌス帝が、新約聖書にふさわしい記述を取捨選択して
編纂していったということでしたね。
そして、驚愕の事実!
エジプトから発見された新約聖書の断片!
なんとキリストの伴侶はマグダラのマリアだった!!
12人の弟子よりも愛し、
しばしば彼女に接吻をした・・・
明らかに現存の新約聖書では封印されている部分です。
キリストは処女懐胎によって出生した神の子。
ですから独身でなければいけない。
そんな常識を打ち破る大発見です。
さて、お釈迦様の場合はいかがでしょうか?
もちろんジャータカなどによって過去の善行が、
これまでか、というほど書き連ねてあります。
白い六本牙の像が懐中に入る夢をみて身ごもった摩耶夫人。
しかし、お釈迦様の父母は、あくまで人間です。
釈尊ご自身も、結婚もして、子供ももうけます。
しかし、それは、あくまで輪廻転生を下敷きにしているから・・・?
輪廻転生しつつ、少しずつ向上していく。
そして、真理・・・
・・・それはお釈迦様がいようといないとにかかわらず、
無始無終から存在していた永遠絶対の真理・・・
に到達した一人。
それに対して、GODというのは、唯一無二の存在。
信徒たちがどんなに善行に励もうとも、
神になることはない。
せいぜい、天使の友達になるくらいでしょうか・・・。
しかし、仏教では門戸が開かれています。
徒歩でも、自転車でも、バスでも、新幹線でも、ジェット機でも、
それぞれのペースに合わせて一歩一歩歩んでまいりましょう。
私に出来るお手伝いは何でもご相談くださいね。
まだまだ修行中の身ですけどね。
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| 2006年5月19日(金) |
| イラスト |
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最近、ビーズ作品も作りたいのですが、
イラストも描きたくてしょうがないです。
癒しの作品が描けるといいな、
と思っていますが、
題材がイマイチ思い浮かびません。
先日、聖マドレーヌを描いたのは、
実家に帰る際にANAに乗ったのですが、
そこに備え付けられた雑誌に、
聖マドレーヌについて書いてあったのです。
聖マドレーヌは美容師の守護聖人。
常連患者に美容師さんがいるので、
機会があったら差し上げたいなあって思いました。
実家に帰ってみると、
資料こそないものの、
私が普段から使っている水彩色鉛筆と同じものがありました。
以前にも紹介しましたが、
最近は、大人の塗り絵のブームです。
でも、私は自分の画が描きたい・・・。
勿論、仏画には色々な細かい規則があり、
それを厳密に調べてからでないと描けませんが、
そんなことにこだわらず、
自分のイメージを大事にして
こころの画
ともいうべきものを描いてみたいのです。
何かいいお題などありましたら、
掲示板のほうに書き込みお願いいたします。
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| 2006年5月18日(木) |
| ビーズがいじりたい |
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最近ビーズをいじっていません。
ダラダラ生活もようやく一ヶ月になろうとしています。
そんなある日、部屋で、以前作ったストラップが見つかりました。
う〜ん、なかなかよく出来ているじゃない。
ビーズの材料、売るほどあるもんね。
・・・っていうか、フリマなんかで売ってたし。
作りたいよ〜。
しかし、材料は、今、手元にはない。
前に大量に仕入れたときは問屋さんでしたから、
驚くほど安くて、調子に乗ってたくさん買い置きしちゃいました。
私はピアスを開けています。
前は長髪だったので、仕事のときは結っていました。
ですから、ピアスは重要なアクセント。
右耳に1つ、左耳に3つ開いています。
私たちの通っていた高校は、自主自律がモットー。
ですから、逆にいうと、比較的自由。
進学校でしたが、私服。
パーマもピアスも化粧も自由。
世間のブームよりいち早く、みんなでピアスを開けたのでした。
ピアスなら、イヤリングのように落とす心配もないし。
最近は短髪にしてパーマをかけていますので、
一寸長めのピアスがちらりとのぞきます。
私の首は、アクトレスネック。
長めなので、大ぶりな長めのピアスが似合います。
ビーズの指輪には興味がないんだけど、
ブレスレットとかネックレス、ペンダント、ストラップが作りたいなあ。
創作意欲が湧いてきたということは、
私のダラダラ精神状態も復活してきたということかな。
仕事に復帰しても、暫くは暇でしょうから、
製作もチョコチョコしてみましょうか。
ちょうど修復依頼もきたことだし。
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| 2006年5月17日(水) |
| 素敵な簡易祭壇のご紹介 |
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アマゾンでこんなものを見つけました。
「Tibetan Buddhist Aitars:A Pop-up Gallery Of Traditional Art&Wisdom」
レビューをご紹介します。
「Blessings on the Wind」で
チベットの祈祷旗をギフトボックスに詰めて届けてくれたワイズが、
チベット仏教の慣習に興味を持つ人々に、またひとつ、
新しい贈り物を用意した。
ポップアップブックから飛び出すのは、
家庭や僧院で見られるような5つのカラフルなチベットの祭壇だ。
ワイズとビアは、静かな場所にこの本を持っていき、
自分の瞑想にふさわしいポップアップを開いて
(寺院の入り口のように、表紙が観音開きになっている)
使ってほしいという。
それぞれのページには朗唱用のマントラと、
緑ターラー菩薩、
釈尊伝、
阿弥陀三尊
文殊菩薩、
薬師
の美しいポップアップ像が祀られている。
それぞれが異なる宗教的特質を体現しており、
自分の必要に応じてすがることができる。
たとえば病気のときは薬師、
恐怖から守ってもらう時は緑ターラーなど。
この本に加えて、珠が108ある数珠を用意するのもいいだろう。
とのことです。
要するに飛び出す絵本、ですね。
他のレビューを読んでみると、なかなかの出来のようです。
興味のある方は、下のページを参照してください。
http://www.amazon.co.jp/exex/obidos/ASIN/1577314670/ref%3D/249-2325682-2361948
私は未入手ですが、なかなかよさげ・・・。
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| 2006年5月16日(火) |
| マンダラ |
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随分前に、「マンダラ塗り絵」というものをご紹介いたしましたが、
今日も、本屋で見つけました。
大人の塗り絵のマンダラシリーズ。
最近、この「大人の塗り絵」というのがブームのようですね。
色々な種類のものがあります。
草花のもの、名画のもの、風景のもの。
そして、マンダラまであろうとは。
ちなみに以前ご紹介したのは、
マンダラといっても、ユングのマンダラの定義のもので、
マンダラ的な図案、というものでしたが、
今日見つけたのは違いました。
胎蔵・金剛界などから抜粋した仏画の塗り絵でした。
塗り方なども丁寧に解説してありましたが、
仏画は私の研究分野。
白描図ならば、大蔵経の図像部のものがたくさんありますので、
購入はパス。
・・・・まあ、今は実家なので手元にはありませんが。
でも、塗り絵、気晴らしにしてみたいなあ・・・・と思ったり。
そうそう、最近気づいたのですが、
さくらももこさん、
漫画家で「ちびまる子ちゃん」を書いていらっしゃる方ですが、
あの方の表紙画などは、まさにユング的なマンダラですね。
実にバランスよく、枠線や人物・動物などが描かれています。
才能があるんですねえ・・・・。
久しぶりに、私も描いてみましたね。
この間の「聖マドレーヌ像」。
画というのは癒しの要素がありますね。
特に色。
イメージが湧いたらまたチャレンジしてみたいです。
何か、皆さんからヒントがいただければなあと思っています。
そうですねえ、私、草木は苦手ですね。
あと風景もちょっと・・・かな。
人物とか抽象画なら、なんとか。
どうか、ヒント、お寄せください!
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| 2006年5月15日(月) |
| ストーカー |
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実は、私、ストーカーに付きまとわれています。
付きまとわれだしたのは、もう10年ぐらい前です。
話もロクにしたことがない人なのに、
突然家に押しかけられ、贈り物やラブレターが届くようになりました。
「結婚して下さい」
とはっきり書いてありましたので、
私もきっぱり断りました。
隣県の人だったのですが、
何と、引っ越してきてしまいました!
コワイ。
そして、結婚してくれないのなら、
私の自宅の庭で焼身自殺する、
とまで書いてきたのです。
実際にそこまではいかず、
私は彼からの電話を着信拒否しました。
しかし、何故か、もう10年も経つというのに、
自宅のポストに直接贈り物が入っていました。
朱塗りの中啓(法要の時に使う扇)です。
実家が留守にしているときに尋ねてきて、
直接ポストに入れたのでしょう。
更に、手紙も届きました。
また会いましょう。
何度電話してもつながらないので、
電話して欲しい、
と書いてありました。
そりゃそうでしょう。
つながるわけがありません。
着信拒否しているのですから。
何故わからないんでしょう。
まあ、わからないからこそストーカーなんですよね。
普通の人は、はっきりきっぱり断られれば、しぶしぶあきらめます。
でも、ストーカーはそれができない。
自分の都合のいいように解釈してしまうんでしょう。
でも、何故?
10年も経つのに。
何かの拍子に思い出したのか。
それとも、10年間も思いつづけていたのか・・・。
筋金入りのストーカーですね。
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| 2006年5月14日(日) |
| 天使のカレンダー2 |
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今日は母の日。
ジュリちゃんの試験の日。
司法試験は毎年母の日なんです。
親不孝の日ですね・・・。
善戦したみたいですけど・・・・
さて、今日は天使のカレンダーから、
1ページご紹介しましょう。
丁度、母の日の天使なもので・・・。
5月14日
カーネーションの天使
体長:5cmくらい。
羽の色:ピンクカーネーションの光
母なる大地への感謝のプレゼントを贈るため、
世界中に美しい花や木を植えて育てている。
母の日にカーネーションを贈る風習は
この天使の営みに習ったもの。
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| 2006年5月13日(土) |
| 天使のカレンダー |
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1999年に発行された絵本で、
寺門孝之さんの366枚の天使の絵に、
それぞれ、日付と、その天使の名前、特徴などが書いてある、
(もちろん架空の)
とても夢のある絵本です。
私は難波の地下街にある本屋で、この本を見つけ、
手にとって眺めていました。
すると、見知らぬ外人の男が話し掛けてきました。
「Oh,Angelね・・・・」
「???」
そして、しつこく付きまとい始めました。
さらに、ひざまずいて(!)
「ケッコンして下さい」
「???」
私は本を急いで購入すると、歩き始めました。
色々と話し掛けられたのですが、
無視してスタスタと・・・。
すると、その外人、小走りに私の前に立ちふさがったかと思うと、
いきなり大声でこう言いました。
「お前なんか、穴だ!」
はあ?
私は踵を返して、逆方向に歩き出しました。
その外人追いかけてきて、
また私の前に立ちふさがりました。
「ゴメン、怒った?」
みんな見ています。
私は走って逃げました。
そんな苦い思い出がある本なので、
内容は素敵な本なのですが、
複雑な思いで、また眺めています。
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| 2006年5月12日(金) |
| 博士の愛した数式 |
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この本は、第一回本屋大賞受賞作です。
これは、全国の書店員が
「読んで面白かった」
「もっと売りたい」
と思った本を投票で選ぶ賞です。
家にあった本は、
60刷
・・・ていうことはすごいベストセラーですね。
寺尾聡・深津絵里で映画化もしています。
事故のため、記憶が80分しかもたない数学者と家政婦とその子供の心温まる交流を描いた作品です。
この作品の中で、
数は人間が出現する以前から、
いや、この世が出現する以前からもう存在していたんだ。
・・・
数字は人間が発明したものかと思ってました。
・・・
いいや、違う。
自分たちで発明したのなら、誰も苦労はしないし、
数学者だって必要ない。
気が付いた時には、もう既にそこにあったんだ。
0を発見した人間は、偉大だと思わないかね?
・・・
名もないインドの数学者だよ。
・・・
古代ギリシャの数学者たちは皆、
何も無いものを数える必要などないと考えていた。
無いんだから、数字で書き表すことも不可能だ。
この最もな議論をひっくり返した人々がいたのだよ。
無を数字で表現したんだ。
非存在を存在させた。
素晴らしいじゃないか。
小難しい数式もいくつか出てきますが、
なるべくわかりやすい言葉で、淡々と説明してあります。
神は存在する。
なぜなら数学が無矛盾だから。
そして悪魔も存在する。
なぜならそれを証明することはできないから。
なるほど・・・。
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| 2006年5月11日(木) |
| 世界に一つだけの花。 |
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いうまでもなくSMAPの曲で、たいへんヒットしましたね。
私は、これが槙原の曲だというのを、結構最近知りました。
なるほど、そういえばそうですね。
いかにも彼らしい曲です。
彼は中学時代から曲作りにはまっていたそうです。
そして大学生時代にデビュー。
彼の素直な歌い方、共感の持てる歌詞。
とても好きなアーティストの一人です。
そんな彼が、麻薬だか覚醒剤だかに手を出してしまったのは、
皆さんご存知のことだと思います。
大変残念なことですね。
今まで、泉のようにあふれてきていた音楽が、
何一つ湧いてでてこなくなってしまったのだそうです。
そして、彼は一時、音楽活動を休止しました。
しかし、この曲は名曲ですね。
今後もどんどんいい曲を作って、活躍してくださることを期待しています。
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| 2006年5月10日(水) |
| 評決のとき |
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ジョン・グリシャムの小説です。
私は法廷ものの映画が好きなのですが、
作者はもと弁護士。
この作品は処女作で、弁護士時代に書かれたものだそうです。
グリシャムの作品は、映画になっています。
この「評決のとき」もそうですが、
「法律事務所」
「ペリカン文書」
「依頼人」。
すべて法律サスペンスです。
「評決のとき」の舞台は、人種差別が色濃く残る南部。
黒人の10歳の少女が、
酒とドラッグに酔った白人2人に強姦され、
殴る蹴るの暴行を受け、小便までかけられて捨てられます。
当然二人は逮捕され、裁判にかけられることになりますが、
ベトナム帰還兵である少女の父親は、
裁判所で手錠をかけられている二人を撃ち殺すのです。
この私的制裁が許されるのか?
父親は心神喪失状態だったのか?
よりによって陪審員は12人とも白人!!
KKKまで出て来て、
弁護士は狙撃されたり、爆弾を仕掛けられたり、
家を焼かれたりします。
陪審員たちも脅されます。
一方黒人たちも州をあげて一万五千人が集まり、
裁判所の周りをデモ行進します。
さて、どうなる?
日本で暮らしていると、
あまり人種差別なんて気にしないでしまうけど、
私たちも有色人種。
よい感情をもたない白人がいるのも事実です。
そして、陪審員制度。
いいのか、悪いのか、私にはわかりません。
でも、問題がないとは言えない制度だと思います。
「12人の怒れる男たち」は名作だと思うけど、
(父殺しの容疑の少年の有罪を、一人の陪審員が崩していく話)
デミ・ムーアの「陪審員」を観た後に観ると、
感想が180度変わってしまいますよ。
いずれにしろ、
万能ならざる人間が裁くということは、
冤罪ってありうるのですから、
人が人を裁く・・・・。
それも命をもって償う死刑制度・・・
みなさんはどう思われますか?
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| 2006年5月9日(火) |
| コシノアヤコ |
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コシノアヤコさんは、92歳で亡くなるまで、
現役のデザイナーだったそうです。
コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコさんら三姉妹を、
女手一つで育て上げ、
彼女たちは今や一流のファッションデザイナー。
もともとコシノアヤコさんは、呉服屋さんに生まれたそうな。
しかし、進んだのは洋裁の世界。
寝る間を惜しんで働き、
なんと、ブラウスなら5分で裁断できたとか。
そして74歳にして自らのブランドを立ち上げました。
ゆるやかに老いて、体型も変わり、第二の人生。
そんな人たちのためのファッションを提案しつづけたのです。
すごいですね〜。
おそるべし、
コシノファミリー。
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| 2006年5月8日(月) |
| チャングムを見て・・・ |
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うわあ、合谷にぶっすり刺さってるよ!
あんな、ふっとい鍼が!!
(注:合谷は手のツボ)
ちなみに中国では、日本よりはるかに太い鍼を使います。
(ヨーロッパ人は不器用なので、更に太い、注射器ぐらいの鍼だとか・・・)
それは、痛みに対して、日本人より中国人のほうが
鈍感だから。
さて、チャングムでもかなり太い鍼でした。
韓国人も痛みに対して鈍感なのかしら。
一緒に見ていた母が言いました。
「この、医女っていうのは、こんなに知識があるのに、
身分が低いって、何で?」
それはね・・・・・。
中国医学の始まり、
医者というのは、
皇帝の痔をなめる役だったのです。
つまり、下賎な仕事。
さて、時代が下って、医学が成立してきますが、
内科というか、薬学(湯薬)のほうは、王侯貴族の医学として発達していきます。
しかし、外科は、血まみれになるわけですから、
発達が遅れます。
身体髪膚父母に受く、
というわけで、身体にメスを入れるなんて、
よっぽどのことがないかぎり、ご法度なのでした。
ゆえに、解剖学も遅れます。
解剖は、国法で禁じられていたりしたわけです。
では、解剖学が全くなされなったかというと、そうではなく、
・・・日本人は血を穢れとして忌み嫌いますが、
中国では生贄を捧げますよね。
牛を屠ったりするわけです。
ですから、ある程度の知識はあったものと推測されます。
実際に、検死のカルテのようなものも残されていて、
これもまた、面白い。
確か、刊行されていましたっけ。
(すいません、書名忘れました)
話がそれました。
湯薬はより尊い医学であり、
鍼灸はそれより卑しい医学と思われていたようです。
・・・というより、医学自体があまり高貴な学問ではないし、
医者という存在が、今よりずっと身分が低いわけです。
病んだ人・死んだ人を相手にするわけだから。
韓国では、儒教の国。
女性の患者をみるために、女医が育成されました。
(そういえば、ミャンマーでも、女性のマッサージは女性、
男性のマッサージは男性が担当していましたね。
妹の夫のソンスー君は、韓国でもそういうもんだと言っていました)
しかし、その仕事に従事することを多くの階級の女性は望まず、
身分の低い、奴婢の中から、幼い少女数十人を選び、教育したようです。
王の身体を守ることは、国の何よりの重事、
朝鮮王朝時代、比較的医者が厚遇されていましたが、
王様が健康を害するようなことがあると、
主治医がただちに処罰されたそうです。
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| 2006年5月7日(日) |
| パッチ・アダムス |
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これは、実話が元になっています。
自殺癖があった主人公は、精神病院に入院します。
(しかし、本当にヤバイ人ばかりなので、
ちょっとやそっとの精神病で入院しちゃったら、
逆におかしくなりそう・・・・)
そこの精神科医は、うわのそらで患者の話をきくだけ。
しかし、パッチは、同室の精神病患者と心が通じ合い、
よし、僕は人を救いたい!
と目覚めて退院し、医学部に入学、
そのユニークな・・・というか破天荒な行動で、
何度か退学処分になりそうになりますが、
無事、精神科医になり、無償で治療に取り組む、と言う話です。
私は映画館で見たのですが、
今回、いとこがビデオを貸してくれました。
それにはメイキングが入っていて、
パッチ・アダムスご本人も出演していました。
長髪を束ね、ヒゲを生やし、派手なシャツに身を包み、
おしゃれな(?)ピアスをつけたおじいさんでした。
・・・まさに、何とかと天才は紙一重・・・
彼の姿勢に賛同しているお医者さんもたくさんいるそうです。
奪うより、与えるほうが豊かになる。
そんなメッセージがこめられていました。
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| 2006年5月7日(日) |
| 海の上のピアニスト |
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この公開時、私は就職中で、
よく考えれば、映画の日とかレディースデーとかに観にいけば良かったんですけど、
定価を払ってしまいました。
しまった!
と思ったんですけど、鑑賞した後は、
定価を払っても全然後悔しませんね!
それだけいい作品です!
と思ってしまいました。
内容は、1900年、船の上で生まれて置き去りにされた孤児・・・
つまり、戸籍もなければ国籍ももっていない・・・・
しかし、天才的なピアニスト、が主人公です。
これでもか、というほどピアノの演奏シーンが出てきます。
それが、どれも素晴らしい。
曲もいいのだけど、
演奏テクニック・・・・
ピアノ対決をするシーンがあって、
ものすごいテクニックを披露するのです。
客たちはその圧倒的なテクニックに唖然とし、
葉巻を服の上に落として服を焦がしても、全く気づかずに呆然と見つめている・・・
それって、どうやって録音したんでしょ。
映像では、3つも4つも、いくつもの手が鍵盤の上で舞っているのですが、
実際に弾いている人もいるわけで・・・、
やっぱり、一人で演奏しているんじゃなくて、
連弾とかしているのかしら・・・・。
そういう神業的な曲もあるのですが、
テーマ曲は、ちょっと物悲しくもさわやかなもの。
主人公の淡い恋心に重なっています。
なかなかの名曲です。
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| 2006年5月6日(土) |
| 少林サッカー |
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これはCGを駆使したコメディーです。
前に「食神」でもちょっとご紹介いたしましたが、
チャウ・シンチー監督・脚本・主演です。
話題になった映画なので、ご存知の方も多いのでは?
とにかく奇想天外なハチャメチャのコメディーです。
キャプテン翼の誇張表現なんて、全く及びませんよ。
少林拳を学んだ仲間たちが、少林拳を広めるために、
サッカーチームを作って活躍する、と言う話です。
すさまじいシュートは、衝撃波を引き起こして、
敵ゴールキーパーをはじめ、ゴールそのものまで吹き飛ばしてしまう。
ありえね〜光景続出です。
味方のゴールキーパーは、完全にブルース・リーを意識しているし、
110キロの巨漢は軽功の達人で、軽々と宙を舞う・・・。
愉快な作品です。
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| 2006年5月5日(金) |
| カラーパープル |
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今日からは、少し、私の好きな映画のお話をしましょう。
特に映画通と言うわけではないのですが、
結構好きです。
もし、皆さんもオススメの映画などありましたら、
掲示板のほうで教えてくださいね。
さて、今日は「カラーパープル」。
ウーピー・ゴールドバーグ主演です。
彼女の作品では、「天使にラブソングを」が大好きなのですが、
それとは、かなり毛色の違った作品です。
何しろ、この作品中のウーピーは若い!
痩せている!
どうやらこれが初主演作品らしいです。
そして、内気で人前でよくしゃべれない性格の持ち主・・・・
なものですから、せりふは極端なまでに少ないのです。
ですが・・・その演技力はたいしたもので、
ちょっとしたしぐさ・眼の表情で、最大限に主人公の内面を描き出しています。
舞台は古きアメリカ。
黒人社会の話なのですが、
白人と黒人の格差は勿論なのですが、
黒人社会内部にも階級格差があったことは、
あまり知られていないでしょう。
特に女性には、過酷な試練が待ち受けていたりしたのですね。
父から、夫から、虐待を受け、
誇り高い自立した女性(しかし、それは反社会的とみられることもある)からの影響を受け、
自分を見つけ出していく、
・・・という一人の黒人女性の半生を描いたスピルバーグの作品です。
結構長い作品なので、
時間があるときに、腰を落ち着けてじっくり鑑賞されることをお勧めいたします。
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| 2006年5月4日(木) |
| マドレーヌ |
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ゴールデンウィークですねえ。
みなさん、いかがお過ごしでしょう。
さて、マドレーヌと言えばスタンダードなお菓子ですね。
最近はご無沙汰だけど、
隆蓮房はお菓子を作るのが得意。
まあ、それだけ食いしん坊、ってことですね。
マドレーヌはフランスのある女性が、
パティシエのかわりに大急ぎで王様のために焼いてあげたお菓子で、
その女性の名前が、マドレーヌ。
王様はその女性に感謝して、
このお菓子の名前を「マドレーヌ」と命名しました。
ちなみにその王様とはルイ15世の王妃のお父さんだそうです。
焼き立てよりも、2日ぐらいたったほうが味に落ち着きが出ておいしいです。
持ち運んでも型崩れしにくいので、贈り物などにもぴったりですね。
それでは作り方。
(基本は少々甘めなので、調節してくださいね)
1.ふるった小麦粉250グラムと砂糖250グラムをボールに入れて混ぜます。
2.卵4つを一つずつ加え、泡だて器で混ぜます。
(少しずつ混ぜていき、なじんできたら、力をいれて練り、ドロドロにします)
3.溶かしたバター250グラムとバニラオイル少々を加えます。
4.バターをぬって小麦粉をまぶした型に入れます。
5.170度のオーブンで20分焼きます。
ところで、マドレーヌというのは、クリスチャンネームでもあります。
聖マドレーヌはキリストと親しかった女性で、
キリストの復活を最初に信じた方だそうです。
キリストの足に聖油をそそいで、
自分の髪の毛で拭いたことから、
その像は長い髪をして聖油入れを持っています。
そのため、美容師の守護聖人にもなっています。
美容師の方、どうぞご加護を頂いてくださいね。
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| 2006年5月3日(水) |
| 7つのチャクラ・あとがきから |
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最後に、著者のあとがきをご紹介させていただきます。
聖書に書かれていることは、
すべて私たちの内にある。
神性は私たちの内にあるのだ。
私たち自身が神性そのものなのである。
私たち自身が教会であり、
シナゴーグであり、アシュラムなのである。
ただ目を閉じて、
さまざまな聖典やチャクラの気が、
自分の力の源であること、
身体に燃料を与えるエネルギーそのものであることを
感じるだけでいいのだ。
面白いことに、
自分が本当は何でできているのかを悟れば、
霊的な人生を送ること以外、
私たちに選択の道は残されていないのである。
さて、長々とご紹介してまいりましたが、
いかがでしたでしょうか?
西洋と東洋・
神学と仏教という違いがあり、
語句に多少使い方の違いはございますが、
いわんとしていることはおぼろげながら伝わってきますね。
感情の乱れは生活や身体に悪影響を及ぼしていく・・・
癒し・・・・みほとけの慈悲
を素直に感謝して受け入れ、
生きていく・・・そしてやがては死を迎えること。
その過程で鬱になろうとも、
乗り越えていけるはずですよね!
真理は私たち自身の内にあるのですから。
自分の足で、一歩一歩、歩んでまいりましょう!
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| 2006年5月3日(水) |
| 第7チャクラ・霊性とのつながり |
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頭頂部にあるチャクラです。
キリスト教の神父として長年聖職にあった方で、
今はヒーラーとして活躍している方の話が載っていました。
その方は、癒しを人々に与えることができるようになったのですが、
その過程で、
教会の教えとキリストの教えとは両立しないものだと感じ、
一時、心は暗夜に陥りました。
結局、神父の職を去りましたが、
逆に、今では本当の意味での聖職を授任されたと思っているということです。
彼は言っています。
聖職を授かったヒーラーの刻印は、
「暗夜」を体験し、
神に見捨てられたという気持ちに耐える体験をしたことだ。
見捨てられるということの意義は、
それが神からの問いを象徴していることにある。
「この暗闇の夜でも、
あなたは私を信じることができるか?」
という問いなのだ。
どんな病気でも、癒されることはもちろん可能ですが、
同時にそれは、全ての病気が実際に癒されるということではありません。
自分の恐れや、悪い思考に直面できるようにするという理由のために、
病気に耐えなければならないこともあるのです。
死は敵ではありません。
死に対する恐れが敵なのです。
真の祈りとは、
何かをするために神のほうに向くことではない。
神と共に生きていたいから神に向くのだ。
祈りとは、神に対する言葉というよりも、
神とともに私たちが生きていくということなのだ。
私はエネルギーの「エンジンをかける」だけです。
でも車を運転していくのは、その人自身なのです。
いかがでしょうか?
あえて隆蓮房の感想は述べません。
皆様、参考になりますでしょうか?
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| 2006年5月3日(水) |
| 第6チャクラ・理性の力 |
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昨日は、「7つのチャクラ」から、
第4チャクラ・感情の力について記しました。
今回は
第6チャクラ・感情の力
についてです。
このチャクラは、額の中心にあります。
意識と癒しはつながっています。
身体の健康を作り出すにも破壊するにも、
私たちの態度が大きな役割を演じています。
たとえば、鬱状態は、
癒す力に影響するだけでなく、
免疫系を直接弱めてしまいます。
怒り、苦々しい気持ち、憤怒、反感などは、
癒しの過程の障害となるし、
癒しの過程を全く止めてしまうことさえあるのです。
癒したいと言う意識を持つことには、大きな力があり、
この内面の力がないと、
病気は身体に浸透していってしまうことが多いのです。
病は気から、とも申しますが、
まさにそうですね。
私たちのこころに多少でもインパクトのある出来事は、
すべて細胞レベルで記憶されていて、
更に、ひとつひとつの選択が蓄積されて、
最終的に私たちの健康や病をつくりだしているということを、
明確な理論と実例を挙げて説明してある、
参考になる書です。
続く
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| 2006年5月2日(火) |
| 7つのチャクラ |
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さて、HPのお引越しをしました。
新しい記事第一弾です。
ところで、ここで日記を書いているのですが、
ブログに切り替えたほうがいいかなあ・・・などと迷っています。
・・・が、まあ、今月一杯は日記にしてみようかな・・・。
さて、最近テレビで海外の「超能力捜査」なんてものが取り上げられていたりしますね。
隆蓮房は個人的に、超能力がある人っていらっしゃるんだと思いますよ。
でも、詐称している人も多いのではないでしょうか?
ところで、本日の題名は、私のいとこが貸してくれた本のタイトルです。
これは「直感医療」ができる人の著書です。
この方は、アメリカの女性で、
初めは新聞記者をやっていた方です。
その後、神学の修士号を取得しましたが、
いつのころからか、自分の知覚能力が拡張し始めていくのを認識し、
知人の身体の具合が悪いと聞くと、
なぜ具合が悪いのか、その原因がわかってくるようになったそうです。
その後、医師から生理学などを学び、
医師と協力して、多くの人に直感医療で診断というか診察をし、
・・・・それも電話で話をしただけだったりでも、わかるそうです・・・・
今や国を超えた評価を集め、各地でワークショップを行っており、
何冊かの著書を書いておられます。
今日はそこから少しご紹介したいと思います。
まず、題名の「7つのチャクラ」ですが、
東洋的に、身体には7つのチャクラというエネルギー(気)センターがあると言われています。
著者によると、それはキリスト教の7つの聖典にも対応しているそうです。
そのうちの第4チャクラですが、
これは胸の中心部にあります。
真中にあるチャクラとして身体と霊の仲介役を務め、
その健康状態と強さを決定します。
第4チャクラが人間の気系の中心なのは、
「愛は神の力」であるからです。
一般に知性や、「理性的なエネルギー」のほうが感情の気よりも優れているものと考えられているが、
人間の身体と霊を動かしているのは感情のエネルギーだということです。
その中でも、
最も純粋な形の愛・・・無条件の愛・・・は
神なる存在の本質であり、私たちを許し、祈りに応える無限の力を有しています。
私たちの心は、美と慈しみ、許し、そして愛を表現できるようにできています。
それに反して行動することは、私たちの霊的な本質にそむくことなのです。
愛は身体・霊の両方を動かす燃料なのです。
人生で出会う困難は、それぞれが愛のある一面についてのレッスンです。
人生の選択の結果が、身体に現れるという人生を私たちは生きているのです。
身体を癒すためには、感情面の癒しが必要であることも多いし、
場合によってはそれが必須の条件となることもあります。
イエスは必ず、相手の感情面の病をまず癒しました。
身体の癒しはそのあとに、おのずから起きてきたことなのです。
愛が持つ癒しの力に自分を100%開いていくためには、
「許し」こそが、まず最初に起きなければならない、欠かすことのできない霊的要素なのです。
自分を愛する心とは、過去の傷をもたらした人々を許せるほどに自分を大切にすることなのです。
自分の傷は、自分を傷つけるだけで、
このような傷への執着を手放すことで、私たちは、脱皮し、
第4チャクラの愛と慈しみの行動を表すことで、
その神なる存在とともに次の段階へ移行できるようになるのです。
では、許しとはなんでしょうか?
許しとは、意識の行う複雑な行為であり、
個人的に仕返しをする必要や、
自分を犠牲者として見るような視点から、
精神と魂を解放するものです。
許しとは、自分を傷つけた人々を非難の対象から解放するというよりも、
自分を犠牲者として見ることが、
自分の精神におよぼしている支配的な力を手放すことを意味しているのです。
純粋な許しという行為のもたらす結果は、
奇跡を引き起こすエネルギーを隠している可能性もあると思います。
愛は神なる力なのです。
以上、本から抜粋引用させていただきました。
まだ癒す必要があるの感情の記憶は何か、
それを認識することから、この心のリハビリは始まるようです。
少々硬い文章になりました。
ご質問・ご意見をお待ちいたしております。
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